臓器移植
4月27日(水)
公文国語のやり直しを娘と一緒に進めます。分からないところを、一緒に読んで行くのですが、専門用語が分からない様子。
私「死と言っても、大きく2つある。君が思い浮かべる死、つまり脳や体全てが動かなくなってしまったもの。もう一つは、脳だけが死んでしまい、体の臓器は動いている状態。全てではないが、一般的に臓器移植という行為は、脳死の方の臓器を用いて、行われる」
娘「でも、臓器を取ったら死んじゃうよね?」
私「そうだね。だから、臓器移植というのは、生きている間に意思表示をしたり、家族の承認が必要となる。でも、脳死そのものの数は決して多くないし、臓器移植できる人となると、さらに数が少なくなる。臓器移植を待っている人は沢山いるけど、順番が回ってこずに死んでしまう人は沢山いるんだ」
娘「例えば、弟が脳死したら臓器移植するの(涙目)?」
私「難しい質問だね。脳死と判断されても、時間が経って戻ってくる可能性があるかもしれない。時間が経てば医療も発達するしね。親としては、その可能性に賭けてみたい。人によって考え方が異なるし、その時の状況にもよる。正解は無いけれど、多分、パパは臓器移植には踏み切れないと思う」
やり直し完了後、娘はドスーンとしていました。親が死んだら。飼っているペットがしんだら。死というものについて、考え始める時期ですね。かつて、私も妻もそのような時期がありました。
死について考えることは、決して禁忌ではありません。むしろ、自分の精神を成長させることに、とても重要です。ただ、毎日報告される世界情勢の通り、国によって子供の身近に死が存在しています。それだけは、早く無くなって欲しいと思うばかりです。